LOG IN

残し繋げる

by 槻 ゆうき

 とあるテレビ番組で、ヨーロッパ、記憶では確かドイツのどこかでしたが、お店の吊り看板を修理する人の話の中で印象に残っている言葉がありました。

「自分が直したこの数百年前の吊り看板は、これから先、自分よりもまた長く生きるんだ」

 そのお店をマークで表した鉄細工の吊り看板は、字が読めない人が多かった時代からあるヨーロッパ圏の文化らしいです。

 文化が途絶えないと信じていて、また看板が「生きる」と表現しているところに職人というものを感じられて強く印象に残っています。自身で実際に数百年前の看板を修理したからこそ言える言葉でもあるでしょう。

 僕はこういった「残し繋げる」という感覚にとても価値を覚えます。だから、なにかを作るということを続けているのでしょう。

 時代はどんどんと変わっていき、特に最近の移り変わりの早さはすごいもの(らしい)です。終戦を迎えておよそ七十四年しか経っていないことを考えるとわかりやすいのかもしれません。親から最近のアプリだの電子マネーだのがわからなくて困っているという電話を受けたり、僕もつい最近になって電子書籍というものに触れて驚いたりなど、時代の流れについてくので精一杯という人も多いでしょう。

 この先も変化が続いていくのかどうかはわかりませんが、そんな中で、今の自分が好きな作品が「残り繋がって」いくのだろうかと考えると不安になったりします。

 視線は百年、二百年先というわけではなく、自分が生きていることがまだ想像できる遠い未来、五十年くらい先でしょうか、その時に「昔の作品」として残っているかどうか。

 夏目漱石が「こゝろ」を世に出してから百年以上が経っていますが、その間に生まれ、今の人たちが知る由もなく消えていった作品は一体いくつあるのでしょうか。残すという技術の差が大きくありすぎるので引き合いに出しても無意味かもしれませんが、未来、どれだけのものが残っているのでしょう。消えていくということを考えると、とても切なくなるのです。

 良い作品は必然的に残っていくでしょう。しかし、では、残らなかった作品は良くなかった作品でしょうか。

 友人の言葉を借りると「消費されるだけの作品」が多く生まれている世の中で、自分はどんなものを残したいと思い、残せるのでしょうか。

OTHER SNAPS